1.3h - イッテンサンジカン

阿部裕介 写真集「ヨサリコイ」

東京を拠点に活動する写真家・阿部裕介による1冊目の写真集を、1.3hより出版しました。
高知「よさこい祭」を撮りおろした、大判の写真集です。

ヨサリコイ について(文:山若マサヤ)

写真家とは、自分なりのやり方で世界を見る人のことだ。そんなこと誰でもやっていると、あなたはそう思うかもしれない。でも、自分なりに世界を見るというのは、案外すごく難しい。僕やあなたがたの多くは、歴史や文脈、評価や時代性、機能や意味といった既存の価値基準をもとに、「これってこういうものだよね」と、部分的な判断を下しながら世界を見ているはずだ。
そんな中で、「僕には世界はこんなふうに見えるんだけど」と、写真家は自前の新鮮な感覚を提示してくれる。例えば僕たちが「なんてみすぼらしい花びんだろう」と言っても「いやいや美しい女性の横顔じゃないですか」と言って、みんなをはっとさせるような。それは既製品のものさしを捨てて、新しい自前のものさしをゼロから作るような行為だ。
そうした写真家やアーティストの視点は、僕たちが見る世界を豊かに彩り、おおらかに視野を広げてくれる。だから、僕はそうした本を出版する「1.3h」(いってんさんじかんと読む)という出版レーベルを作ることにした。そして、その1冊目の本が、阿部裕介の写真集「ヨサリコイ」ということになる。
最初に断っておくと、この文章は作品の意味を解説するものではない。なぜなら新しい自前のものさしで作られた作品に、正しい意味や解析は存在しないからだ。そして、一つの明確な答えを提示するための写真は(商業写真としては機能するかもしれないけど)、写真作品として奥深いものだとは言えない。

阿部裕介という写真家について少し書いておこうと思う。阿部は1989年生まれで、今のところ東京を拠点に写真を発表している。といっても1年のうちのけっこうな期間海外を飛び回っていて、あるときはヒマラヤで遭難しかけながら雪山を撮ったり、パキスタンの辺境に暮らす人々を撮影したり、またあるときは屋久島の森にこもって樹を撮ったりする。対象はさまざまでも、それらの作品には、被写体にまっすぐ向き合った阿部の確かな感動の形跡が見出せる。あらゆる文脈や情報を取っ払って、ありのままの美しさを訴えかけるストレートな強さがある。プリミティブな目で世界を見る生のまなざしがある。情報が細分化されコンテクストが複雑化する社会では、そうした相対化されない美しさを感じることはしばしば難しい。だから、阿部の写真に向き合ったとき、僕たちは忘れていた心の機微みたいな部分をそっと刺激されることになる。

「ヨサリコイ」の話をしよう。よさこい祭りについて説明が必要かもしれない。よさこい祭りは毎年夏に日本の高知県で行われる祭りのことで、日本中や海外から集まった約200チーム、総勢2万人近い踊り子たちが3日間にわたって高知市内を踊り歩く。「地方車(じかたしゃ)」と呼ばれるサウンドシステムやバンドセットを積んだ装飾的なトレーラーに続いて、「鳴子(なるこ)」という手持ちの打楽器を携えた華やかな踊り子たちが列を成して進む。「ふらふ」という巨大な旗を持った旗振り役がいることもある。踊りや音楽には最低限取り入れるべきフレーズや規定はあるものの、基本的には自由なアレンジが許されている。そのため、ロック、サンバ、ダンスミュージックなど様々なバージョンの音楽に合わせて、個性的な衣装を着た2万人のダンサーたちが朝から晩まで踊りまくることになる。それを数十万人の観客が鑑賞するため、3日間のあいだ高知市内の中心部は狂乱のお祭り騒ぎが続く。よさこいは、伝統や規範が尊重されがちな日本の祭りの中で、特別に自由な夏のフェスティバルなのだ。

阿部と僕は、よさこい祭りの前後にまたがる1週間ほど高知に滞在し、撮影や写真集の基本的な構成部分までを現地で行なった。きっかけはある芸術家の女性に「よさこいを撮りなさい」と言われ、阿部は阿部なりにそこに撮るべき何かを感じた、それだけだった。

よさこいについて調べるうちに、その由来に「よさりこい」という日本の古語があるという話を聞いた。「夜になる頃、来てください」という意味だ。語源には諸説あるらしいけれど、僕たちはこの言葉に強く惹かれた。こうして出来上がったのがこの「ヨサリコイ」という本だ。「ヨサリコイ」は3つのパートに分かれている。1つめが、踊り終えたばかりの踊り子たちのポートレート。2つめが、よさこいの間の高知の街の様子や人々の営みを捉えたスナップショット。3つめが、夜に踊る人々の目のクローズアップ。これらは取材写真ではなく、阿部の自前のものさしで捉えたよさこいの人々の姿だ。だから、いわゆるよさこいらしい情景はいくぶん欠落しているし、踊っている場面もあまり出てこない。それでも、ここにはよさこいの魅力が、あるいは人間の本質的な輝きが、瞬間的な熱量とともに詰まっている。それは、この日のためにしたてられた衣装やヘアスタイルとその乱れに、踊りの順番を待つ硬く結ばれた口元に現れているかもしれない。数万人の歓声を浴びた踊り子たちがiPhoneで無邪気に記念写真を撮る姿に、1日中踊り続けた夜の一瞬の顔つきに。
阿部は、「僕にはここに集まる全ての人たちが美しく見える」と言う。阿部の視点を借りて僕たちはその美しさを発見することになる。それはおそらく、いわゆるよさこいのイメージや、みなさんが想像する日本の祭りの写真とは少しばかり違ったものではないかと思う。同時に、それはかえって僕たちの心のどこかに新しい角度の光を当てることになるだろう。そして、光が当たった場所にあるのはおそらく抽象的で結論を持たないものであり、だからこそとても意味のあることなのだ。

[写真集の仕様]
タイトル: ヨサリコイ
サイズ: B4 横(364×257mm)
製本: コデックス装 厚紙貼 カバー付き
ページ数: 80P
印刷: モノクローム2色刷

[制作スタッフ]
撮影: 阿部裕介
編集・文: 山若マサヤ
デザイン: 荒金大典(Cumu)
印刷・製本: 八紘美術

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